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還らぬ冬の彩(いろ)

 
唖然と目を見開く。
 咄嗟に左右を見回すが、前方から歩んでくる人物に注意を向けているのは左之助だけだ。否、左之助の連れの数人も周囲の通行人もそれとなくその小柄な美形に視線を
送ってはいるが、それはあくまでその人物の美貌、あるいは一種特異な赤毛に対する物珍しさでしかない。
「大した別嬪だの」
「役者か色子―――にしちゃあ、いとおしなげなお顔が傷物(きずもん)か。お腰の物(もん)も色気がねえ」
 囁き交わす連れたちの言葉も、左之助の目を釘付けにしている物体についてはまったく触れていない。あるいは左之助が知らないだけの、流行りの見せ物ででもあるのだろうか。
 見る間にも近づき、澄まして通り過ぎようとする、異人かと見紛う赤毛の美形のその背に、白い大きな翼がある。
「左之さん?」
 常と違う左之助の様子にようやく気付いた取り巻きの一人がかけた言葉にも気づきもしない。
 すれ違う瞬間、頭二つ低い位置にある相手の肩を思わず掴んでいた。
「おろ?」
 人形めいた美貌に似合わぬ軽妙な声を発して、美形が振り向く。すっきりと通った鼻筋、切れ長な目の涼しさが、却って凄みになっている左之助に剣呑な目つきで睨み付けられてまったく動じる気配がない。
「さ、左之さん?!」
 むしろ連れ立つ青年達の方が慌てたのは、左之助が突然相手の着物を脱がそうとしたからだ。仮にも天下の往来、しかも真っ昼間である。止めようにも、強力(ごうりき)で名高い左之助をそうそう止められるものではない。大の男が五人、おろおろと狼狽える様はそれこそ一種の見物だ。騒ぎに、見物の人だかりができはじめる。しかし左之助は目の前の謎に完全に気をとられている。
「なんだこの羽根ぁ、どうなってやがる?!」
 左之助のその科白に、着物を半分剥がれながらも穏やかな苦笑いを浮かべて制止しようとしていた相手の目が、大きく張った。
「・・・見えるのかお主、まさか」
「見えるも見えねえも、こんなでけえもんしょってて見えねえはずがあるかってんだ」
 着物の生地を透かして背中から生えているように見える翼の根を探ろうと、それで頭が一杯の左之助は思いがけぬ強い力で腕を掴まれて、はっと相手の顔を見た。
 今までの優しげな笑顔の代わりに、射るような目が左之助を睨(ね)めつけている。
「場所を変えよう。お望みならいくらでも見せてやる故」
 間近で囁く美貌に気圧されるように、左之助は頷く。
 大男の方が手を放し、からまれているように見えた小柄な美形が笑顔で衣紋を繕い始めたのを認めた騒ぎ目当ての見物人たちが、密やかな失望の溜め息を漏らして散っていった。後には、左之助の取り巻き連が残るだけである。
 「おう、お前ぇら先に行っててくんな。俺ぁ後から行くからよ」
 背を向けて歩き出した美人の後を追う左之助を狐につままれたような表情で見送ると、青年達は首を捻りながら「先に行け」と言われた賭場へ向かって歩き出した。


 ゆったりと運んでいるように見えるにも関わらず、存外に早い歩調に左之助は小走りで追いつく。
「おう、どこ行きやがる」
 肩を並べて歩きながら、翼から視線を離さずに問いかけた。
「その先に廃れた寺がある」
 帰ってくる声の柔らかさに、この時ようやく左之助は気付く。男のものとも女のものともつかぬ、不思議な響きだ。この声にも、同じように男とも女ともつかぬ容姿にも、身の丈よりも大きな雪の白の翼はひどく似つかわしく見える。今は奇異の念より、絶佳への賞賛が左之助の意識を満たしていた。
「俺ぁ左之助・・・・相楽左之助ってんだ」
 無言の気まずさと気恥ずかしさを隠すため、今更のように左之助は名乗る。
「拙者は緋村剣心でござる」
 わずかに見上げてくる相手の口元に、微かな笑みが浮かんでいた。まるで先程の視線が幻を見たように思われてきて、左之助は心中首を捻る。
 やがて寺の門を潜り、躊躇いのない足取りで剣心が本堂の裏手へ回るのを、揺れる翼の後ろ姿を眺めながら、大人しく左之助は付いていった。
 連れて行かれた場所は数本の雑木が茂り、案外大きなそれらの陰で薄暗い。剣心が玉砂利の上でも土の上でも殆ど足音を立てない歩みを止めて振り向いた。
 何故なのか、我ながら馬鹿らしいと思ったことにその瞬間左之助の心臓が跳ね上がった。しかし相手に気付いた様子はない。
「左之助、と言ったな」
「おうよ」
 瞬きもしない大きな目に見据えられて視線のやり場に困るが、ガンを飛ばされて負けたとあっては「喧嘩屋斬左」の名がすたる。
「俺の名なんざどうでいいこった。お前ぇのしょってるこいつこそ・・・」
 半分は照れ隠しで、左之助は剣心が避(よ)ける間もなしに無造作にその翼を掴んだ。
 驚愕が翼を持つ者の顔に浮かぶ。
「見えるだけではなく触れられるのか?まさか、お主・・・」
 気負いこんで言いかけた口が閉ざされ、剣心の双眸が細められた。獲物を狙う狩人―――否、狩人さえを狩り立てる、獰猛な肉食獣の光を瞳に帯ぶ。ぞくりと、左之助の背が武者震いに泡だった。一見華奢で優しげな容姿を改めて眺めれば、緩く着付けた袷の間に覗く白い薄い肌の下に鞭のようにしなやかな筋肉が息づき、刀を支えるには頼りなげに見える腰は低く落とされて臨戦の態勢を整えている。
 相当な遣い手だ。
 自分と幾らも年端が違わぬように見える剣心がこれほどの相手とは、まさか左之助は思ってもみなかった。
 左之助の中の荒(す)さぶ魂に火がつく。
「まさかがどうした」
 好戦的な笑いを浮かべた左之助の表情で、むしろ剣心は冷静さを取り戻したようだ。
「・・・いや。お主はどう見ても人間(ひと)でござるな。まさか人間が拙者の翼を見て、触れられようとは・・・」
「ああ?」
 途端に闘気の消えた剣心に、拍子抜けしたような声を出す。そもそも、剣心の言っていること自体がさっぱり理解できない。
「拙者の背にあるこれはな、そうだな・・・なんと言えばいいか・・・気の塊のようなものなのでござる。人間(ひと)には触れるどころか見えるはずさえないのだが・・・」
 そんな言葉も、ますます左之助の混乱を招くばかりだ。
「おい、せんから”ひと””ひと”ってなぁ、なにか、お前ぇは”ひと”じゃねえってのか」
 問われたことへの説明に窮したものか、剣心の眉根が困惑を示して寄る。目ばかりが大きいような顔の小ぶりな造作は彼を幼くさえ見せ、困った子供のような表情の先程見せた険しさとの落差はこれがとうてい同じ人物とは思えず、左之助は幻覚をはらおうとでもいうように、幾度も瞬きした。
「・・・説いたところで理解(わか)るまい。だが、少なくとも拙者は人間(ひと)でござるよ」
 その返答に何か言おうとした左之助を、手を挙げて制する。
「済まぬが、拙者は居候先の主に頼まれた使いの途中でな。これ以上暇を潰せぬのでござる。納得できぬと言うなら本郷の神谷という道場に居るから訪ねてこい。とりあえずこの場はこれにて失礼する」
 言うや、肩を掴もうとした左之助の手をするりと抜けて、件の音のない歩みで足早に去っていく。
 遠ざかるにつれ、小さな身体はまるで羽根ばかりが歩いているようだ。その後ろ姿を見送る左之助の頭の中に、「本郷の神谷」の単語がしっかりと焼き付けられていた 。


 「本郷の神谷」は、あっさりと見つかった。
 武家屋敷が建ち並ぶ一角は上野戦争で主が彰義隊に加わり、そのまま不在となって荒れた様相を呈している場所も多いが、神谷家はその中でよく手入れが行き届いて凛とした姿を見せていた。
 当然だが表門は閉ざされているので、左之助は塀をぐるりと回ってみる。右手に、墨痕鮮やかに「神谷活心流 神谷道場」と書かれた看板の掛かる、正門より一回り小さな門扉があった。敷石の向こうに道場とおぼしき建物が見えるが、人気はない。だが、門が開放されているところを見ると、入っても差し支えはないだろう。
 敷地へ足を踏み入れ、左右を見渡した。左手へ回れば、今し方通ってきた正門へ出る。左之助は道場に沿って右手へ回ってみた。突き当たりを左手へ折れると、道場と住居を結ぶ渡り廊下を含んだ中庭らしき場所へ出る。その住居の方角でかすかな水音が聞こえてきた。音のする方へ目をやると遠く剣心の白い翼が見え、井戸の傍らにしゃがみこんで、なにやらしている。怖じることなく左之助は足を進めた。
「おう、なにやってる?」
 声をかけると剣心が振り向いたが、そこに突然の来客を驚いた様子はない。第一級の剣客である。とっくに左之助の気配を察していたのかもしれない。
「本当に来たのか。暇でござるな」
 立ち上がった剣心の手に、緋の腰巻き。足下には大きな盥と洗濯板。傍らに、洗濯物の山。左之助の顎が落ちる。
「な・・・なに持ってんだ、お前ぇ」
「おろ?」
 問われて、剣心は腰巻きに目をやった。
「腰巻きでござるが・・・見たことがないのか?」
 まるで屈託がない。
「そんななぁ、見りゃわからあ。俺が聞いてんなぁ、なんでお前ぇがそんなもん洗って・・・」
「ああ、拙者居候でござる故、食い扶持を稼げぬ代わりにこうして賄いなど手伝っているのでござる。この家(や)の主はまだ十七の娘御でな。今は出稽古に出てござる。」
 この屋敷を訪ねて来る時に道を訪ねた品のいい老婦人が、確かそんなことを言っていた。うら若い女性(にょしょう)の身で一流を担い、道場を支えているのだと控え目な表現で賞賛していたのを思い出す。だからと言って、年頃の娘が大の男に腰巻きを洗わせて平気な顔をしているとは、多少なりとも常識的とは言えない左之助でさえどんなものかと思うが、当の剣心は少しも頓着していないらしい。いずれにしても自分の口を出すことではないと思い返した。
「そうかい、そいつぁ殊勝なこったな。そもそもお前ぇ、何者(なにもん)だ?そんな若さで、今時武者修行の旅もねえだろうよ」
 剣心の目が、驚いたように瞬く。そんな表情はまるで、しおらしい小娘のようだ。どうもいけねえ、と左之助は心中舌打ちした。目の前の、翼を持った得体の知れない剣客に、どうやら振り回され始めた兆候がある。左之助にとってかつてなかった経験だ。
「そんな若さと言って、拙者はじきに二十九でござるが」
「・・・・・・・はあ?」
 我が耳を疑う。二十九、と聞こえた気がしたが十九の間違いだろうか。
「幾つ、って言った?」
「二十九でござる」
 再び左之助の顎が落ちた。
 涼しげに十も年上だという目の前の青年はどう見てもせいぜい自分と同い年、ともすれば年下にさえ見える。どうもやはり、この剣客は人間ではないのだ。翼を持っているところからするとあるいは天狗かもしれない。そうだ。そうに決まっている。このまま踵を返して関わりを持つのはやめるに限る・・・。
「左之?」
 見上げてくる大きな目に、殆ど空白になってしまった頭の中のほんの一部で巡らしていた物思いを破られた。
 左之、とかつて誰も使ったことのない呼びかけが耳に甘い。
「そんなに若く見えるでござるかな。これでもいささか気にしてはいるのだが」
 口で言うほどでもなく、剣心は笑顔を見せている。癖なのか、覗き込むように首を傾げる仕草につれて翼が揺れ、昼の陽がその上を滑っていく。雪の白の翼に、この国の民には見かけない夕焼けめいた色の髪が鮮やかだ。
 不意に、大型の犬が水滴をはじき飛ばすような仕草で左之助が頭を振った。
「俺ぁ、お前ぇの歳の話なんざしにきたわけじゃねえ、その背(せな)にくっついてる・・・」
「だからな、これは説いても判らぬと」
 困ったように笑う表情に、左之助は口を噤む。図らずも剣心に見蕩れた事実を誤魔化そうとその話題を持ち出したが、それはそれでたった今関わるまいと決めたことだ。
「・・・・そうか。そうだな。おう、お前ぇの言うとおりだ。邪魔したな、帰ぇる」
 唐突に、機械的な動作で背を向ける。数歩も歩いてそっと背後をうかがってみたが、大きな翼は地へしゃがみこみ、早速と洗濯の続きへ戻ったようだ。
 不機嫌な面もちで、広い屋敷内を来たときと同じ道を辿って出ていった 。


決して狭くはない東京府、まして大川を挟んで深川と本郷に離れている左之助と剣心がそれ以来よく道端で顔を合わせるようにようになったのは、偶然とばかりは言えない。
 上野、浅草、根津。
 本郷とは目と鼻の先の町で、左之助は暇を潰すようになった。肩で風を切って道を歩む時、関わらないと決めたはずの白い翼を意識もせずに探している。小さな身体に重たげな荷を担ぐ剣心を、十日に一度や二度は必ず見つけた。気が向けばその大荷物を手伝ってもやる左之助に、妙な男だと剣心は晧(しろ)い歯を見せて笑う。左之助が翼の由来を追求しなくなったことにも、取り立てて触れはしなかった。
 その日左之助が牛鍋屋の「赤べこ」へ昼餉をしたために入ったのも、件の翼の後ろ姿が恰幅の良い老爺と若い娘、幼い二人の少女とその子らの兄らしき少年と共にその店の格子戸をくぐったのが見えたからだった。
 通された席からは、たまたま剣心らの一行が居る座敷がよく見えた。もっとも、左之助に覗きの趣味はない。直きに運ばれてきた鍋をつつきながら一人で冷やの銚子を傾ける。
 昼間からすっかり出来上がっているらしい酔漢が、声高に自由民権運動やらに一席ぶっているのだけが耳障りではあったが、口先だけの馬鹿に売るほど自分の喧嘩は安くないと無視を決め込んだ。
 銚子も空になり、つまんでいた獣肉(ももんじ)もなくなったところで勘定をしようと女将を呼びかけた、その時だった。件の酔っぱらい達の座敷からその向かいの剣心達が居る座敷へ、左之助の視界を横切って一本の銚子が飛んでいく。剣心の後頭部を陶器の直撃した鈍い音がした。銚子が飛んでくる寸前、剣心が動いたとも見えぬほどわずかに、わざわざ身体を銚子の飛んでくる軌道上にずらしたのを左之助は見届けている。
「人に銚子投げつけておいて何議論してんだ!んなコトぁ後にしてまず謝れコラ!!」
 剣心の連れの少年が威勢良く啖呵を切ったのを、面白そうに口の端をあげて左之助は見守った。
「うるさい!!ガキの分際で我々自由民権の壮士に意見するなど百年早いわ!」
 一瞬少年の勢いに呑まれたらしい酔っぱらい達が、子供相手に本気で反撃をする。そこに少年がさらにやり返すのをにやにやと見ていたが、騒ぎを収めようとした女将が酔った男の一人に殴られたのを見ては黙っていられなくなった。剣心が場を収めるかもしれなかったが―――弱い者を力で虐げる、それは左之助のもっとも唾棄するところだった。
「おう、自由民権運動ってなぁ弱ぇえ者(もん)のためにあるんだろ。それを唱える壮士がこんな真似しちゃあいけねえな」
 ふっ飛んできた女将の細い身体を片手で軽々と受け止め、わざわざと挑発してやる。
「それともなんだ、お前ぇらの言う自由ってなぁ、酔いにまかせて暴れる自由のことか」
「なんだと貴様!」
「我々に喧嘩を売る気か!!」
 不敵に笑う左之助に、激昂したらしい酔漢達が矛先を向けた。
「そうだな、たまにゃあ売ってみるか。俺ぁ日頃は買い専門だがよ、弱ぇえ者(もん)を苛めるなぁするのも見るのも大ぇ嫌えでな」
 とくに凄んでいるでもない左之助の身体から発せられている圧倒的な闘気に、しかし酔いのまわった男達は気付かない。
 挑発に乗って、呆気にとられている剣心達を後目に3人の男達は「赤べこ」の前で左之助と向かい合っていた。物見高い見物の人垣に当然剣心達も混じっているのだが、左之助の頭の中から彼らのことは、今は綺麗さっぱり消えている。
「なんだか妙な話になったわね」
 剣心の連れの娘がいささか呆れた面もちで男4人を眺めて呟く。
「止めた方がいいのでござるかな」
「本人がやりてえってんだ、かまやしねえんじゃねえか」
 軽口めいたやりとりを交わしながら、怯える幼い少女達とその祖父を店内に残し、すっかり忘れられた格好で3人は呑気に見物の体勢だ。
 これから多勢に無勢の喧嘩をしようという時、袴の隠しに両手を突っ込んだまま棒立ちでいる左之助に、剣心は微苦笑を浮かべる。冷たげな、熱げな、素っ気なさげな、人懐こいような、まったく妙な男だ。
 酔漢三人のうち最も大柄な厳つい男が、左之助と対峙した。左之助の顔面めがけて繰り出した拳を、男は途中で手首を捻って向きを変える。
「卑怯!寸鉄を隠し持つなんて!」
 並の男では気付かないだろう隠し武器を、自身が卓越した剣士である少女、薫が目敏に見つけて鋭く叫ぶ。
「吠えるな!」
「寸鉄は元々隠し武器だろうが!」
 それに応えるように、酔っぱらいの残る二人が勝ち誇った声をあげた。
「そいつらの言う通りでござるよ。けれど」
 慌てる風でもなく剣心がのんびりと口を開いた。
「効果はないな」
 被さるように大男の悲鳴が響いた。寸鉄を持って左之助の額を狙ったその男の腕こそあらぬ形にねじ曲がり、どうやら折れているらしい。
「本気出したら弱ぇえ者苛めになっちまう。指一本で相手してやらあ」
 面白くもなさそうに左之助の手が呻く男に差し伸べられ、その中指が相手の額を強く弾く。
「がっ?!」
 うなり声と共に男の巨躯が宙に浮き、地響きを立てて地に落ちた。
 物好きと、半ば呆れて左之助を見ていた薫と弥彦の顔が驚愕を示している。
「くそっ!」
 男の連れの一人は既に戦意を喪失して震えているが、残る一人が左之助の背後で仕込み杖に手をかけた。しかし、刃を抜きかけた手がぴたりと止まる。
「酔った上での乱行なれば大目に見ていたが、仕込杖(そんなもの)を抜くつもりなら拙者も容赦はせぬよ」
 いつの間にか背後に回っていた剣心の柄頭が、男の背に食い込んでいる。それよりも、剣心の小さな体躯から発する殺気に男は完全に萎縮していた。
 結句、男達は傷ついた仲間を担いで這々の態で逃げ去っていく。
「有り難うございます、おかげさまで助かりました」
「好きでやった喧嘩だ、礼を言われるようなもんじゃねえ。騒がせてすまなかったな」
 おろおろと成り行きを見ていた女将の礼を軽く受け流し、左之助は剣心へ向き直る。
「よう、剣客さん。頭の怪我は平気か」
 片頬で笑い、さして案じている風でもなく声をかけた。
「ああ、大したことはござらぬ」
「だろうな。わざと避(よ)けねえで大怪我じゃあ格好がつかねえ」
 傍らに立つ、「剣心に腰巻きを洗わせている家主」なのであろう、きりりとした器量の良い少女に視線を流すと、彼女は驚きを顔に浮かべた。寸鉄さえ見破った彼女をして、あの時の剣心が故意に自分を庇ったのだと気付かなかったらしい。
「まあそのうち、気が向いたら俺の喧嘩ぃ買ってくんな。楽しくなりそうだ」
「遠慮させていただくよ」
 剣心は苦笑する。始めて出会った時に、左之助が自分の闘気に見せた反応を思い返していた。背に「惡」の一文字を負い、喧嘩屋など裏稼業を生業(なりわい)にしている子細はありそうだが、そもそもが闘いを好む性なのだろう。
「なんなの、あの人。善い人なのか、悪い人なのか」
「悪趣味の惡だな、ありゃあ」
 戸惑い気味に見送る薫と弥彦の言葉が、端的に言い表しているようだ。もうこれで何度目かも忘れた感想を、剣心は胸に抱く。
 まったく、妙な男ではあった。



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