風の心

 

 こいつの行く末には、一体何があるのか・・・



 ・・・ふと。

 脳裏によぎったそんな思いに、左之助は一瞬、困惑する。



 俺は・・・こいつの先のことが心配なのか・・・?



 己が傍ら、安らかな寝息を立て・・・ゆるく瞼を閉じている、赤毛の人。頬に降りかかる

赤毛をそっと払えば、露わになる十字傷。

 痛々しい傷跡ではあるが、今の彼の面差しからは暗い影は全く見えない。



 「剣心・・・」



 小さく呟き、がさついた手のひらで彼の額を撫でた。



 片づいているとも、清潔だとも言い難い四畳半。邪魔なものはすべて脇へ退け、中央に

煎餅布団を敷き、衝立を立て、左之助は全裸で寝そべっている。

 恥じらいもなく、一糸纏わぬ姿は一種、爽快さを漂わせる。

 が、寄り添うようにして肌を寄せる相手が視界に映れば、そうも言ってはおられぬ。

 しわくちゃに寝乱れた襦袢、象牙の肌に転々と浮いた紅の華。あげく、薄く汗ばんだ肌

を汚すは左之助の、想いの形・・・



 「剣心・・・」



 再び唇に名を紡がせるが、相手は反応を見せない。



 ・・・眠っているのか、本当に。あるいは・・・

 気を、失っているのか・・・



 「剣心・・・」



 いつ、ほどいてしまったのか。

 常に束ねられている髪の毛がほどかれて褥、銅に染まっている。

 ・・・紐が、

 土間へと落ちていて。

 衝立で仕切っていたはずなのに、どうして・・・。ふっと吐息、拾う気も起きぬ。

 左之助は小さく首を振り、再び傍ら・・・剣心へと目を寄せた。

 今宵は何度・・・こいつを抱いたのだろう。

 指折り数えてみるが・・・三回だったか、四回だったか・・・いや・・・?

 不意に面倒臭くなって、やめた。

 そんなことよりも、剣心を見つめている方がよっぽどいい。



 「剣心・・・」



 何度も、何度も・・・額を撫でながら瞳、

 陵辱の限りを尽くした裸体を熟視する。

 ・・・闇夜に。

 ぼんやりと・・・淡く蒼く発光するように・・・

 「生」たる輝きではない、どちらかといえば、

 「精」たる・・・輝きがそこにあって・・・

 何やら、侵してはならぬものに触れてしまった、

 そんな闇雲な罪悪感に襲われる。



 その、肉体を。



 この手で、腕で唇で、

 喘がせ、鳴かせ、ねだらせ、甘えさせついには、



 「お主が欲しい・・・ッ」



 と、切なげに哀願する、その一言を言わせたあの瞬間の声と面差し・・・。

 ・・・艶やかな・・・

 理性の有無などどうでもよい、すべてを穿ち、食い尽くし、貪りたくなるあの衝動・・・ッ!

 思い出すだけでも鳥肌が立つ、たまらなくなるッ。



 「剣心・・・ッ」



 ・・・無意識に、喉が鳴った。



 ・・・どうして・・・

 どうして、これほど訳も分からずこの男が・・・剣心が欲しくなるというのか・・・

 何が気になるってェんだッ!

 俺よりも一回り年上で、

 なおかつ伝説の人斬り、最強の男だッ。

 俺なんかが心配するような、そんな気遣いなど無用な男だッ。

 なのに、なのに・・・ッ!



 「教えてくれよ・・・剣心ッ。どうしておめぇは、俺の中に入り込んでくる、俺を狂わせ

るンでェ・・・。放っておけねぇって思わせる・・・ッ?」



 ・・・放って、おけない・・・?



 左之助、自ら発したその言葉にはたと気づく。

 そうか・・・放っておけないんだ、俺は。こいつの強さや生き様に惚れつつも・・・器用に生

きられない、常に自分の過去と罪に戦い、苦しみ続けているこいつが・・・不器用に生きて

いるこいつが、放っておけねェんだ。

 いつ、壊れてもおかしくないこいつを・・・

 きっと、ギリギリの精神状態であろうこいつを・・・

 それでも笑顔を絶やさぬこいつを、

 俺は、

 放っておけねェッ。

 支えてやりてぇ、力になりてぇッ。

 俺なりのやり方で、こいつを・・・いつでもどこでも、どんなに離れていても俺は、こい

つの支えであり続けたい・・・



 支えであり続けたら・・・ッ!



 「剣心・・・ッ」



 我知らず、褥を掴んだ左手に、思いがけぬ力が宿った。

 ・・・小刻みに、震え・・・



 「・・・歳の差を気にして・・・過去の自分を背負って・・・自分のことよりも他人のことばっ

かり気にして・・・おまけに、自分は幸せになってはいけないだとか、そんなことをよく、

おめェは言うよな・・・でも、それがおめェの生き方なんだよな・・・おめェが選んだ道・・・。

もっと楽な道はいくらでもあるってェのに・・・本当、不器用で馬鹿だよ、おめェは・・・」



 これから先、茨の道やも知れぬ。

 が、この男は黙ってその道を歩むだろう。

 血反吐を吐いても進むだろう。

 それが、剣心の選んだ道なのだ。



 「・・・一人の男が決めたことだから、口出しはしない・・・か」



 いつだったか。

 剣心からそんなことを言われたなと左之助は思い出す。

 それは左之助とて同等の思いだ。だから・・・



 「口は出さねェ・・・だが、おめェの心にゃ手を出すぜ。俺のこの想いが少しでも、おめェ

の糧になりゃいいが・・・」



 ・・・自分でもわからない。この関係がいつまで続くのか・・・いや、続けられるのか。

 できることならずっと、側に居たい。

 心底そう、願う。

 されどいつか、自分はこの男を越える強さを得たい。いや、強くなるッ。

 ・・・が、一兎を追う者は二兎を得ず・・・どちらかを切り捨てねば極めることはできぬ。



 ならば間違いなく、俺は・・・ッ



 ・・・そのことを、剣心は薄々感づいている。

 「その日」がいつか来ることを。

 けれど何も言わない。それは「男」としてお互い生きているから。

 確固たる自らの道を歩んでいるから。

 互いに互いの生き方に口出しをしない。

 だから、

 本気で戦えるのだ、どれほど親密になろうとも。たとえ・・・

 惚れ抜いた相手であっても。

 ・・・それが、暗黙の了解・・・



 「剣心・・・」



 左之助はゆっくりと、剣心へと被さっていく。

 剣心の、ほのかに温もりのある体温が肌へ伝わり・・・左之助の唇、彼の唇に触れて割り

開き・・・



 「・・・ン・・・」



 もぞりと。

 首を振って剣心、声を洩らした。

 左之助は構わず、自らの舌先を剣心の奥へと絡ませて・・・

 「・・・あ・・・ン、ぁ・・・左之・・・?」

 ゆるやかでありながら深い口づけに、剣心は呼吸をわずかに止めた。

 左之助を阻もうと両手を伸ばすが・・・伸ばしたつもりになっただけ。

 実際には指先一寸、微動だにせぬ。

 「やめぬか、左之・・・今宵はもう、勘弁・・・」

 「勘弁ならねェよ」

 「左之・・・」

 意識が戻ったらしい剣心が、微苦笑をして左之助を見つめる。

 「今宵は何度、拙者を抱けば気が済む・・・本当に、お主は・・・」

 「おめェの中に、俺がしっかりと根付いたら気が済むさ」

 「左之・・・」

 思わぬ彼の言葉に、剣心の眼差しが微々たる曇りを宿した。

 変わらぬ微苦笑を湛えたまま、剣心はふうと息を吐く。

 「もう・・・しっかり、拙者の中にはお主が居る。どんなに追い払っても出て行かぬゆえ、

困っているのだが・・・」

 「・・・本当か?」

 「なにゆえ、嘘を言わねばならぬ?」

 「そうかも、知れねぇが・・・」

 「左之・・・?」

 「・・・おめぇの中に・・・俺が見えねェから、よ・・・」

 「・・・信用がないでござるな、拙者は・・・」

 「違う、剣心。そうじゃねぇ・・・」

 褥に横たわる小さな裸体を、左之助は飴細工に触れるようにそっと、腕の中へと包み込

む。それは本当に、この瞬間にでも折れてしまいそうで・・・夥しい熱を宿したときの、あ

のしなやかさが嘘のようにすら思えてくる。

 「俺はまだ・・・おめェの中じゃ、確たる存在じゃねぇ。おめェが流浪人なら、俺はさし

あたって風来坊ってヤツよ。お互い、いつ消えてもおかしくはねぇだろ・・・」

 「左之・・・?」

 剣心の肩口へ面差しを落としつつ、左之助は囁くように語りかける。剣心は、普段から

は感じられぬ細やかな彼の気配に驚きつつも、言葉に耳を傾けた。

 「なぁ・・・このままじゃ俺達、お互いに風になっちまうぜ・・・? ぶつかる時はぶつかっ

といてよ、摺り抜けていく時は、そのまま・・・。寂しくねぇか・・・?」

 低く、滲むような声が剣心の、耳朶へと降り注いでいく。唇がくわえるように撫で上げ、

吐息に混じって舌先が皺の道をたどってくる。

 「ひ、ぁッ」

 肩をすくめ、剣心はか細い声を上げた。

 左之助、耳朶へなおも唇を寄せながら己が腕、徐々に力を強めていく・・・

 「大事なことはしっかり交わしているはずなのに、それがなぜか摺り抜けていく・・・。

剣心、俺には・・・おめぇが見えているようで、本当は見えてねぇような気がしてならねぇ

のよ・・・」

 「さ、左之っ」

 「こうして抱いていても、不安で仕方がねぇ。俺の剣心だと信じちゃいるが、いつかふ

いっと消えた時・・・俺は、おめぇを見つけられるかわからねぇ。風になっちまったおめェ

を、見つける自信がねぇのよ・・・」

 薄い唇をわななかせ、辛うじて声を押し殺している剣心の仕草を、左之助は愛しげに見

つめつつも眼差しの根底・・・悲哀が満ちている。

 「わかるか・・・? どんなに、何度おめぇを抱いたって、満足感てェものがまるでねぇ。

飢えた狼みたいによ、食っても食っても、満腹にならねぇのさ。確かに食ってンのに・・・

どうしてこんなに感触が・・・存在感がねぇのか・・・」

 剣心の耳朶がすっかり吐息で湿り・・・冷めていたはずの肌が少しずつ上気し始め・・・左之

助は、頃合いを見計らって胸の蕾へ指を寄せた。

 「つッ」

 身体、ふわりと跳ねて。剣心、

 止まっていた呼吸が再び空気を求め、大きく喘いだ。

 「あ、あぁ・・・ッ」

 「・・・わかってンだろう、お互い・・・いつか居なくなる、離れる時が来るってことをよ。

だから、おめぇはもうこれ以上、俺の中へ入ってはこねぇ。おめぇも・・・俺をそれ以上、

心の中へ踏み入れさせねェ。いつでも『さよなら』できるようにな」

 「!」

 途端、剣心の面差しが強張った。

 押し迫ってきた甘い波の存在も、瞬く間に冷める。

 その剣心の表情を、左之助は胸乳を貪ったまま冷酷に見つめていて。

 「・・・怖いのか・・・? 俺に深入りするのが、怖いのか。それとも・・・俺のことを思って

深入りさせないようにしてんのか? 未練を残さず別れられるように、いつでも。どうな

んだよ、剣心・・・」

 「・・・左之・・・」

 「・・・答えられねぇか・・・?」

 左之助は動きを止めぬ。剣心を肉体的にも精神的にも追いつめていくかのように、その

手をゆるめぬ。

 一切、手加減なし。

 「おめぇの肌、とびきりいい味になってンぜ? おめぇの汗と、俺のモンで混ざってっ

からな」

 無論、言葉での嬲りも忘れぬ。

 剣心は赤面し、恥じらいながら身悶える。それでいて、身体は左之助を求めて擦り寄っ

ていくのだから、剣心はまともに彼を見られない。

 「・・・おめぇがどんな考えなのかは知らねぇがな。今、ここで別れることになったとし

ても、だ。忘れられるのか、おめェは? こうして・・・俺に抱かれて鳴かされてきたこと

をよ」

 「さッ・・・あぁっ」

 丸い臀部が弾みをつけ、一つ高く突き上がる。

 剣心の、身体の中心部たる高ぶりが左之助の手のひらへ、すっぽりと収まっていた。

 「・・・女みてぇに、思い出さえあったら生きていけます、じゃねぇだろな。そんな柔な

考えだったら、承知しねぇッ」

 「左之・・・ッ」

 「答えねぇのは、図星だからかッ? かまわねぇよ、それはッ。だが、これからは許さ
ねぇッ」

 内股の柔肌に。左之助の指先、ひたりと寄り添い這い上がってきた。

 剣心、即座に足を閉じようとしたが、既に遅く。

 手慣れた動作で身体を開いた左之助は、とうに堪えることが難しくなっている己が高ぶ

りをそっと、近づけた。

 「俺は、思い出の中に生きる男で終わるつもりはねぇッ。そんなモンはまっぴらゴメン

だぜッ! 俺が求めてンのは・・・欲しいモンは・・・!」

 細腰を捉え左之助、己が腰をゆるりと沈めた。

 剣心、わずかに身体を震わせたが拒絶はなく、むしろ・・・

 「あッ、はあぁ・・・」

 感嘆の息を洩らした。

 反面、なにゆえか左之助の面差したるは苦渋に染まり・・・

 「いや・・・違う、そうじゃねぇ・・・たとえ思い出の中の男になってもいい、俺は・・・おめぇ

の中に居たい・・・居たいンだよ、剣心・・・ッ」

 荒々しく腰を突き込み、左之助は唇を噛んで肢体を抱きすくめた。

 何かを求めるように、渇望を満たすように、猛然と剣心の身体を穿つ。

 「俺は、こうしておめぇを抱くことでしか存在感を植え付けられねぇ、俺自身も満足し

ねぇッ。だがな、俺はたとえおめぇから離れても、それが今生の別れとなっても、おめぇ

の中で強く生き続けて・・・おめぇを支えていられりゃ、それで本望なんだよっ」

 「ンッ、あ、左之ッ」

 「だから・・・なァ、これだけは、忘れンなよ、剣心っ」

 自らの呼吸の乱れに流されながらも、左之助はしっかりと剣心の瞳を捉え。

 「俺はいつだって、おめぇの中に居るっ。おめぇの心に居るッ! それだけは忘れン

なッ。独りじゃねぇッ。俺がいつだって支えてやるッ」

 身体を揺さぶられる剣心は、荒れ狂う快楽に身も心も没していた。

 果たして、左之助の言葉をどこまで聞き、受け入れているのか・・・

 「剣心、剣心・・・ッ」

 これで、終わらせたくはなかった。

 互いに「風」のままで終わらせたくはなかった。

 これほど深く交わっているのにどうして、儚さを覚えてしまうのか・・・

 ・・・それは、きっと剣心の、誰に甘えることも知らず、許さず、ただただ自らに厳しさ

を科しているがゆえなのかも知れない。何より・・・

 「結局・・・おめぇが見つめてるモンは、世の中のこれからってヤツでよ・・・俺でも、嬢ちゃ

んでもねェ。おめぇの心にあるのは、そんな見も知らぬ奴等やら、世の中のことばかり・・・」

 白い肌を朱に染め抜き、剣心は背を跳ねる。必死になって左之助の腕を掴むが、反動に

堪えられず虚しく空を彷徨い。

 「剣心・・・剣心ッ。俺や嬢ちゃんは、おめぇの中に居るか? 心ン中に居るか? おめぇ

の・・・糧になり得てンのか・・・?」

 嬌声、迸らせる剣心をうっとり見遣りつつ、左之助は上体を折る。両腕を彼の腋下に潜

り込ませ、なおも肌を密着させて抱きすくめば必然、いっそう深く腰は潜り。

 奥の奥を貫かれて剣心、わずかに目を剥いた。

 「剣心・・・」

 吐息を絡ませ、左之助は彼の耳朶へ唇を寄せる。剣心の喘ぎを耳元で聞きながら。

 「おめぇが見えねェよ、剣心。おめぇの心が見えねェ・・・一番欲しいって思うモンが見

えねェよ・・・惚れてるって、言ってくれたこともあるおめェなのによ・・・見えねェよ、剣

心・・・」

 「あっ、あっ、左・・・ッ」

 「だが、だがそれでも俺はなァ・・・!」

 グッと身体が深く沈んだ刹那、

 「俺は、おめぇの支えになりてェ・・・ッ」

 「左ぁ・・・ッ!」



 左之助の痛切な願いは、剣心の肢体の中へと熱く、注ぎ込まれた。



 ・・・剣心は眠る。

 疲れ果て、汗ばんだ肌のまま・・・左之助の想いを身の内に刻んだまま・・・

 どこまで届いている、この想いが?

 どこまで支えてやれる、この想いが?

 離れた後も、支えていける保証がどこにあるというのか。



 「いや・・・そんなに柔な男じゃねぇ、剣心は・・・」



 再び眠りについた剣心を見つめながら、左之助は独りごちる。



 「俺は・・・どこに居たって必ず、おめぇの側に居る。この想いは、おめぇの側に・・・。支

えられるように・・・、居る。でもまだ足りないようなら、俺は・・・手加減なしで、おめぇを

抱き続けるぜ、剣心・・・」



 ・・・見えない、見えない・・・愛しい人の心が。

 どこまでが真実で、どこから虚実なのか。

 いや・・・きっとすべてが真実なのだ。

 ただ、甘えてこないだけ・・・

 自分に厳しくあるがゆえに、妥協を許さぬがゆえに・・・

 だから、

 「剣心」が見えない。



 「・・・おめェほど自分に厳しいヤツもそうはいねぇよな。自分じゃなくて、周りや先の

ことばっかり気にして・・・お人好しの、大馬鹿野郎・・・それでも俺は・・・出来る限り、おめぇ

を・・・」



 褥へ横たわり、左之助は剣心を掻き抱く。

 壊さぬように、壊れぬように・・・そっと、そっと・・・。



 この「風」を逃がさぬように・・・

 自らの存在を、刻みつけるかの如く。

 

 

了.

 

<紫陽花>

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 







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