雨宿り　〜　長身の男　〜

　俺にとって、そいつは鬱陶しい存在。

　晴れているはずなのに現れたり、

　曇っているにもかかわらず、こっちの予想を容易く裏切り。

　ついには、視界を遮るほどに自分の存在を主張する･･･

　この日も、そいつは現れた。

　剣心を誘って賭場へ出向いていった、その帰り道に。

　「おっ、何でェ、降ってきやがった」

　額のはちまきを濡らした存在に、俺ぁ、空を仰いだ。

　･･･暗雲たれ込み、今にも落ちてきそうな気配。

　落ちてくるものは雲ではなく、「雨」、なんだがな。

　水の雫は、俺の頬を濡らした。

　「こうしちゃ、いられねぇや。おい、剣心ッ」

　同じように仰いでいた剣心を、俺は引っつかんで駆け出した。

　何やら考え事をしていたのか、あるいはただ呆けていたのか。

　こいつの反応は思っていたよりも鈍くて、半分、引きずっていくような形で俺は走った。

　掴んでいる華奢な腕が、儚く思えつつも存在を知らしめる･･･

　「よっしゃ、とりあえずここで、雨宿りな」

　剣心の腕を放したのは、神社の境内も近い、樹々の生い茂った小道だ。ここなら枝々が雨

粒を遮ってくれるはず。

　俺はひときわ大きくそびえる樹木へ、剣心を引っ張って幹へと身を寄せた。

　「雨にやられるたァ、ついてねぇなぁ･･･」

　せっかく剣心と連れ立って歩いていたってェのに、これじゃあ面白くねぇ。

　そう思っていると、俺の言葉に剣心は苦笑しやがった。

　「あぁ･･･そうでござるな」

　「ま、いいや。今日はかなり、儲けたしな。ありがとよ、剣心」

　こいつの「先読み」を当てにするわけじゃねぇが、賭場へ連れていきゃぁ百発百中、確実に

当てちまう。おかげで仲間内じゃぁ「強運の神様」なんてことになっちゃぁいるが、俺にはどうで

もいいことでェ。

　俺は、こいつが外へ出てくれりゃぁ、それでいい。

　下手をすりゃ、こいつの一日は家事と、買い物だけで終っちまう。

　まだまだ人生、これからだってェのに、まるで隠棲しているような剣心が、俺には我慢ならね

ぇ。

　「よく･･･降るなァ･･･」

　何かを堪えていたかのように、雨は一気に降り出していた。

　現実から隔離しちまうように。

　「･･･雨、か･･･」

　剣心は、一言呟くと顔を伏せちまった。

　まるで、雨なんか見たくねぇって具合に･･･

　･･･雨粒に濡れた剣心は･･･

　何かに打ちひしがれたみてぇに、朧なげだった。

　物憂げな表情と瞳が、さらに拍車をかけて･･･

　･･･雨粒に濡れた剣心は･･･

　赤い髪から雨を滴らせて、雫となったそいつが、頬や顎を伝い落ちていく。

　身体が冷えているのか、唇の色をいっそう失わせて･･･

　俺ぁ、目が釘付けになっちまった。

　色のないはずの唇が、妙な瑞々しさを湛えて･･･

　闇の奥に潜む泉のような、底の見えぬ眼差し･･･

　恐ろしいほどに白い肌が、生気もなくひっそりとたたずむ。

　｢雨など･･･」

　そン時、俺の目にもわかるほど、剣心は身震いした。

　今は水無月、梅雨の時期。

　雨が降るのは当然だが、寒気を走らせるたァ、道理に合わねぇ。

　どうやら･･･この蒸し暑さにも拘わらず、雨で身体が冷えちまったんだろう。

　と、剣心は左の袖を揺らした。

　｢待てよ、剣心」

　俺の言葉に、剣心はピタリと動きを止めた。

　それを、不思議そうな顔でこいつは俺を見上げてきやがった。

　俺ァ、思わず笑っちまいながらも、自分の右手を剣心の手に重ねた。

　･･･思っていたとおり、こいつの手は冷えきっていた。

　氷のように、冷たくなっちまっている･･･

　「こうすりゃ、あったかいだろ」

　剣心は、やっぱり呆けた顔で俺を見ていたが、何やら正気に目覚めたようにハッとして、

　「あ･･･あぁ･･･かたじけない」

　思い出したように、それだけを言った。

　すると、こいつは何を考えているのか今度は、俺ばかり見つめてきやがった。

　俺ァ妙に、胸ンところがトントンしてきやがったから、剣心から慌てて視線を逸らした。

　「何だよ、肩も濡れてるじゃねぇか」

　「え？」

　俺の言葉に初めて気が付いたのだろう、剣心は自分の肩へ目を向けた。

　頭上にある枝の、葉より滴り落ちてくる雫がさっきから、こいつの右肩を濡らしていたんだ。

　所詮は雨宿り、おまけにどっかの軒下ってェわけにもいかねぇから当然、雨粒一つから逃げ

られるわけがねぇ。

　「身体が冷えちまわぁ。こっち、来ねぇ」

　剣心の、手の冷たさが気になった。手のひらでこれだけの体温だ、身体なんて、どうなって

いるかわかったもンじゃねェ。

　俺ァ半纏を片肌、脱いだ。

　さらした右腕で、一掴みできちまう剣心の右肩を掴んだ。

　「左、左之っ」

　･･･こいつはいつも、狼狽えたような声を出しやがる。

　先読みできねぇはずがねぇ。

　俺が、どんな行動を取るのかなんて朝飯前のはずなのに、剣心は赤子みてぇに敏感な反応

をしやがる。

　･･･それだけ、俺に見惚れてるってことかも、しれねぇがな。

　「これで、濡れねぇだろ」

　俺はニッコリ笑って、片肌脱いだ半纏を、剣心の頭の上からかぶせてやった。

　･･･やっぱりだ。着物越し、伝わってくるこいつの体温は、驚くほどに冷たくて、驚くほどに強

ばっていた。

　俺ァ、剣心の身体を必要以上に引き寄せて、右の脇腹ン辺りへこいつをへばりつかせた。

　「･･･あ･･･」

　「そんな顔する前に一言、礼を言えばすむだろ？　剣心」

　こいつは･･･

　俺との距離が縮むと、少し困ったような顔をしやがる。

　そのくせ、瞳の奥には微々たる喜悦が混じる。

　･･･俺との逢瀬を、剣心は悦んでいやがる･･･

　これは決して、自惚れじゃねぇ。

　断言出来る証拠は、たくさんあるんだ･･･

　「あ、ありがとうでござる、左之」

　「おぅ」

　･･･雨音。

　回りには、雨音しかなかった。

　葉を打つ音。

　滴る音。

　土を跳ねる音･･･

　無数に満ちあふれる、雨の音。

　目を閉じりゃぁ、

　様々な物音の中に「雨」が居る。

　「人」じゃなく、「雨」が居る･･･

　･･･「雨」と･･･

　俺、そして「この男」だけ･･･

　そう･･･たった、それだけのことだった。

　雨が、降る。

　俺にとっちゃ、鬱陶しい存在でしかなかった雨が、降る。

　御天道さんの下にいられず、ただただ、屋根の下でしか燻ることしか出来ないことが、　俺に

は苦痛で仕方がなかった。

　元来、じっとしていられる性分じゃねぇからな。

　だが、今、胸に居るのは。

　「ずっと、このまま続いてくれりゃぁ･･･」

　という、切実に近い想い。

　俺の願い。

　あれだけ疎ましく思っていた雨だってぇのに、今更そんなことを思うのはやっぱ、わがままだろ

うな･･･

　けど、わがままだって思われてもいい。

　思われたっていいから、

　この「時」を、握っていてぇ･･･

　「左之助･･･」

　と、剣心の小さな声が聞こえてきた。

　俺は、眉を寄せて空を仰いでいた視線を落とした。

　脇腹へ身を、頬を寄せている剣心。

　左の十字傷が、晒しへ押しつけられて見えねぇ。

　濡れてしまった長めの前髪が、剣心の不思議な色合いの瞳を隠している。

　どんな面ァ、してやがんだ？

　そんな疑問が、頭を掠めた時だ。

　「左、之･･･」

　･･･唇が･･･剣心の、唇が。

　俺の、腋下へと吸い込まれて･･･

　「剣心･･･」

　思わず絶句して、俺は剣心を見つめちまった。

　剣心は、そんな俺の視線から逃れるように、頬を真っ赤にして俯いた。

　俺は･･･無意識のうちに、生唾を飲み込んでいた。

　「･･･誘うなよ･･･これでも我慢、してんだぜ」

　「左、左之･･･っ」

　そうだ･･･俺は我慢していた、辛うじて･･･保っていた。

　さっきから、こいつを見る俺の目が少しずつ変化してきていることを自覚している。

　すぐにでも押し倒したい衝動に駆られたが･･･それは、剣心が嫌がるからな。

　「･･･なぁ･･･剣心」

　「ん･･･？」

　「･･･雨、止んだら･･･長屋、来るか･･･？」

　「え･･･」

　驚きで顔を上げた剣心に、俺はもう、耐えられなかった。

　こいつの肩をグッと引きつけて、唇を寄せた。

　剣心は･･･ゆっくり目を閉じた。

　その、眉間に寄せられたしわに愛しさを覚えつつ、俺は･･･

　･･･たまにゃぁ･･･

　こんな雨宿りも、いいかも知れねぇ･･･

　了

<剣心編/紫陽花>